2017年1月10日

30を過ぎた男
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「no title」

・・・・・

おそらくこれを読む人にとっては心底どうでもいいことだと思うのだけれど、
自分にとって20代は極めて過酷な時期だった。

しかしまぁそんな時期も過ぎ去るわけで、
その後、「まぁなんとかなるんちゃうかな」的な精神になってから、
それはそれで環境としては激動だったのだが、
30を過ぎた最近、すこしだけ地に足がついてきたような気がする。

昔は歳をとることを完全に軽視していたのだけれど、
30をすぎると、
けっきょく人間、技術や経験、知識ではなく、
心意気なのだと、意味のわからないことを思うようになった。

「あんなことをしたことがあるんだ」
「こういうやり方をしたらいい」
「過去にこうやったら成功した」
上記の発言はだいたい自分のものだけど、
これはこれで価値がある。それは間違いないと思う。
ここでいう価値というものは、それは他人にとってもメリットがある発言だ、
ということだ。
多分聞いて損はないことを言っていたと思う。

しかしまぁ、生きている感覚はあくまで自分だけのものだから、
自分自身の経験を他人と共有することもできない、
自分の苦労や幸せを他人と共有することもつまるところ出来ないのだ。

自分自身は、
どちらかというと、技術で生きてきたはずだと思っている。
新入社員を経験せず、
自分が持つ技術を必要としてくれる仕事を探して、
あっちの水をのみこっちの水をのみ、みたいな生き方をしてきたわけで。


大気圧が日本の上だけでも場所によって異なり、
それが低気圧、高気圧というなだらかなピークを持っているように、
それがとどまること無く、なんの意味もなく移りゆくように、
横にいた他人とは少し会えなくなったり、
意外な人と長く一緒にいたり、
そんな毎日を生きていくうえで、
仕事も大事、プライベートや趣味も大事、
あの人とも一緒にいたいし、
この人にも会いたいなって日々を生きるしかないのだとしたら、
芯なんてあっても邪魔になるだけかもしれない。

でもまぁせめて自分らしく凛として生きていたいね、
って考えると、
まぁつまるところ「勇気を出したい」とか
「男なら逃げたくない」とか
「女の意地」とか、
そんなくっそしょうもない言葉って、
結果論的には、意外や意外、
「ピタッ」とくるものだと、最近思った。

ポエミーなことだけども、
海にも沢山雨は降るし、
ボイジャーは今も宇宙空間を漂っているだけだし、
自分の落葉を堆肥として毎年葉っぱを広げる木が地球を覆ってるわけで、
「生きること」が「何かを積み上げていくこと」と考えるのはあまりにナンセンスだ。
死ぬ前に発表会をするわけでもない。

自分の感情を食べて生きていくしかないのだから、
自意識だけは胸を張って凛として、
暖簾みたくフワフワな存在のままこれからも生きていきたい。

at 05:17 | Category : | Comments [0] | TB [0]
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