2011年10月 3日

言葉にならず。 x1005.jpg
「夏日に鉾」
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・・・・・

本を読まなくなった。
映画を見なくなった。

こんばんわ。シンジです。



過去にも話した事があると思いますが、
シンジは早熟だった。
けしてシモな話ではない。

いまのシンジの脳みその9割型は、
小学5年生の時に出来上がっていた。

当時はそれなりに大人びた少年だったのだけど、
言い方を変えると、当時既に頭のそれ以上の成長を諦めたとも言えます。

母親が映画好きで教育熱心だったこともあるが、
小中高と、よく映画を見た。

いまでも2000年くらいまでの映画なら、
まあまあ詳しいほうだと思う。
俳優や監督には疎いが、
ツタヤなどのレンタルビデオ店に行くと見たことのある映画がかなりある。
数え上げたら300くらいは置いてあるのではないかしら。
当然マイナーな映画やDVDになっていないものは置いてないので、
人生で視聴したものはその倍以上はある。

おかげでシンジの脳内の映画史はかなり古典的で偏っている。
お勧めする映画と言われても中々絞りきれないし、果たして薦められるのかも分からない。

「タクシードライバー」が一番好きな人とかだと、
この感情が分かると思います。
となりの可愛い子に「これ最高!」と薦められるでしょうか?
ボクは躊躇して、デニーロのコメディを薦める。

2000年以降、映画は月に1、2本くらいしか見なくなり、
おかげで、みんなの「あの映画おもしろかった!」的な話には全くついて行けていない。
映画好きだけど映画通ではないのだ。

映画を他の人と見る事は稀だし、
何よりある時からプツリと見なくなったのである。

いまでは好きな俳優が出ている映画くらいしか、
見なくなった。



「冷める」という感覚とはまた違う。
「飽きる」とも違うのです。

ある日、急に、感じるものがあったのです。

急に「オリジナリティー」にばかり目がいくようになった。



小説もそうだ。
昔は馬鹿みたいに次から次へと読んでいたのだけれど、
高校のあたりから、一気に読書の時間が減りました。

大体の流れが掴めるようになったこともあるし、
少しでも作者の本性が見え隠れすると、
その善し悪しに関わらず、もうダメになってしまった。



「乗せられてる感覚」に少し近い。

アマノジャクな性格のせいかもしれないが、
逆に「オリジナリティー」や「芸術性」にばかり富んだ作品も毛嫌いするようになった。
そこにも案配の必要性はあるのだ。

上手く言葉で表現は出来ないけれど、
結果、入力を出来るだけカットした性格へと変化しました。
不思議である。

人の思惑や宗教性などがベースになっているもの。
それは映画や本を含め、
社会の工業製品すべてである。

音楽のコード進行と感情変化の関係が、
一般的な日本人とまったく違う人間がハリウッド映画を見ても、
何一つ楽しくないと思う。
気付けば映画が終わっているだろう。

全ては社会文化が個人の脳みそに刷り込んだ経験をベースとして作られている。
それを命中精度の高い効果として狙って作っている。

泣いていれば悲しい。
笑っていれば楽しいのだ。

それを、楽しくて泣く、悲しくて笑う、にしても、
全てをひっくり返しただけで、
同じ記号である。

そこを一旦、絶ってみようと思ってから、
気付けば10年近く経ちました。

いまでも時々手に取る本や、見る映画などは、
おそらく10年前のボクでも同じ予想の元にみるだろうと、いうものばかりで、
そろそろ馴染んでもいいのではないだろうか?と思っても、
なんともアマノジャクにそれを拒むのである。




ビートルズより、ローリンストーンズより、セックスピストルズより、
thank you for ramones

みんな同じ感覚を持った事はあるだろうけど、
いつも同じところで引っかかる。

せめてもっと大きく、響く声が出せるような、
人間になれたらな。
総理大臣ぐらいの。
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2011年10月 2日

未来 _0015444.jpg
「station」
Camera: RICOH GR-DIGITAL Ⅱ
Lens:
Film:

・・・・・

とにもかくにも、
・・・こんばんわ。シンジです。

毎度のことなのだが、当然ネタなど考えている暇などなく、
今日は思いついた順番に記述していこうと思います。
巷のユメウッツァーの間では、「徒然タイプ」と呼ばれている更新である。

今日は徒然タイプでいく。



コーヒー豆を挽き、
汚い台所に立つ。

そしてこれまた汚いヤカンでお湯を沸かす。



さぁコーヒーカップはどこかいな、と思った矢先、
前日飲み残したコーヒーの入ったままのカップを見つけた。

飲み残したカップを放っておくと、
中の液面部分から少し上方に、まるで年輪のような模様が現れる。

その液体がコーヒーであれば、
まるで土星の輪のような模様が発生する。
輪の中心には残った漆黒のコーヒーが見える。

夜も更け、古都の片隅にあるボロアパートの一室で、
シンジはその土星的コーヒーを見ながら、佇んでしまった。
そして考えたのである。



例えば、エコ、そして震災による電源確保の難しさ。
そこで、バッテリーを内臓した車が、移動電源として注目されました。

いやいや、ハイブリッド車だって負けてはいない。
中額高額所得者がこぞって買いあさったハイブリッド車。
業界全体の石油依存度が考えれば、
エコロジーへの貢献度は計り知れない。

いやいや、わざわざバッテリーを内臓しなくていい。
(開発も面倒だし)ハイブリッドなどという複雑怪奇な車を作らずとも、
既存のディーゼルサイクルをカスタマイズして燃費を上げよう。
そうやってベンツなどのクリーンディーゼルが脚光をあびた。

・・・何か忘れてはいないかしら。

そう、燃料電池車である。
最近生まれたばかりのゼロ年世代は知らないであろう。
20世紀に未来の車としてもてはやされたシステムである。
水素をそのまま積んでしまうというまるでロケットのような車のことです。

すっかり忘れていたけれど、あれはどこに行ったのか。
水しか排出しない夢のようなあれは、どこへ行ったのかしら。

そう。みんな気付けばうっかりすっかり忘れてしまっていた燃料電池車。

この空しさ、千年の孤独とまではいかないが、
なかなかの可哀想さである。

当然、この話はたとえ話である。

その燃料電池車は、当然ボクのことだ。



全てがセルフに閉じこもったボクは、発信の機会を極めて少なくして生活してきました。
結果、ブログのことなど全く忘れてしまっていたのです。
日々、自分の成せることを精一杯成してきたのですが、
小さな遊び心を忘れてしまっていた。
人にいれてもらった方がコーヒーは美味なのです。

ボクの思考はコーヒーから土星へ飛び、
更に遥か先にある天王星へと向かう。

将来、サザンクロスに向かっているつもりが、
石炭袋で降りてしまったりもするかもしれないが、
すべては出たとこ勝負だったはずである。

古典と言われようが、
開発コストに見合わないと言われようが、
燃料電池車は開発され続けているのである。

答えを探しているつもりが、
答えの出し方のみに囚われていたりもするだろう。

何が言いたいのか、分かってもらえたかしら?

ボク自身、自分が何を言っているのか、全く分からないが、
なんだかまとまったような気がするので、
今日はここらへんでお開きにしようと思う。

それではまた明日!!
明日も元気!!
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